Breast Cancer Fighting Illness

ある日届いた健康診断結果の封を開けた瞬間、乳がんと向き合う日々は始まりました

入院前夜

2022.4.6

日付が回ってしまったが、入院前夜である。

ようやく夕方より入院準備を始め、途中娘のピアノの送り迎えなどをやりつつ…あらかた準備が終わった。

思っていたより大荷物。

まあ2週間と言われるといろいろと準備もしたくなる。

パソコンやタブレット、ポケットwifiも準備した。

個室に入ればインターネット回線があるようなので、LANケーブルまで準備。

何しに病院へ行くのやらww

 

いよいよ明日は入院。

入院してしまえば手術まで一気に流れていくんだろな。

手術自体はそんなに怖くはない。

内臓を切るわけではないので、侵襲も少ないだろう。

命がかかった手術でないことぐらいわかっている。

でも…全く怖くないと言ったら嘘だ。

手術後の身体の変化が怖い。

あるべきものがなくなった姿を素直に受け入れられるだろうか?

その時の自分の気持ちを想像する事が出来ずにとても怖くなる。

みんな同じなんだろうな、きっと。

 

明日は11時に病院へ行く予定。

朝、ゆっくりできるのはありがたい。

さあ、いい加減寝よう。

いい夢が見れるとよいな。

 

 

 

 

入院1週間前

2022.3.31

入院まで1週間となった。
しばらく忙しかったのもあり、また少し現実逃避気味で考えることをやめていた。
乳ガンから離れたかった。
気づいたらもう1週間前になってしまっている。
しまった、なんの準備もしていない。
入院準備はもちろんのこと、私がいない間の引継ぎ等も終わっていない。
まあ、たかが2週間の入院だ。なんとかなるかな?

入院した次の日に手術予定。
あっという間に終わるんだろな。
どこも不自由のない痛みもない身体にメスを入れるのだ。
怖くないはずない。
自分の身体がどうなってしまうのか…想像できない。
キズはすぐに回復するものなのか?
体力が落ちて戻るまでに時間がかかるのではないか?
退院後の生活は今まで通りにできるのだろうか?

いや、それよりもなによりも…
片側の乳房が切り取られた自分の身体を受け入れることができるだろうか…
今はまだ想像もできないし、覚悟も整っていない。
現実から目をそらしたくなってしまう。

といっても時は待ってはくれなくて、
きっと気づいた時には手術1時間前とかになっているのだろうな。
その時の自分の姿を想像すると…やはり怖い。

命がかかっているような大手術ではないことはわかっている。
それでも酸素マスクや心肺モニターをつけられて手術室から帰ってきて、麻酔から覚めると術後の痛みを感じるんだろうな。
そんな自分自身をどんな風に感じるのだろうか?

ついいろんなことを想像してしまう。
心穏やかに手術を迎えるなんて私には無理かもな。
とにかく準備を進めなくてはいけない。
準備をしながら、心もできるだけ整えていこう。

手術日確定

2022.3.14

今日は検査結果を聞いて、治療方針を決める日。
そんな大事な日なのに…休みを取らずに仕事の合間に行くことにした。
話だけならその後に検査もないだろうし、手術が控えてるから休みの日数を減らすわけにもいかないと思ってのこと。
検査結果が最悪の場合、果たして冷静に仕事に戻れるだろうか?
っと不安を抱きながら病院へ向かった。
朝のニュースの占いは1位だった。
内容も”想像以上の良い結果が得られます”と。
なるほど、あまり期待していてはそうじゃなかったときのダメージが大きいからな。
期待はせずに結果を聞きに行こう。

病院に着き、受付を済ませたらすぐに呼ばれた。
診察室に入るとN医師がいた。
『さて、検査の結果の話ですが…』
と始まった。
最初にCT、骨シンチの説明、
全身に転移がないかどうかを調べたが、そのような所見は見つからなかった。
今の時点では遠隔転移はないという結果、とのこと。
安心した。本当に安心した。
一番聞くのが怖かった結果だっただけに…よかった。

次にステージ決定
ガンの大きさが2.6cm、リンパ節転移有あり、遠隔転移無しということで
ステージⅡb確定ということ。

ガン細胞のサブタイプに関して
ホルモン陽性
Her2陰性
Ki67 22%
LuminalAタイプ
ということであった。

増殖能も比較的高くない、おとなしめなガンであるということで
手術先行の治療で行くことになった。
手術は全摘、リンパ節郭清も行う。
ホルモン陽性ということで、術後の内分泌療法は必須。
化学療法を行うかどうかはリンパ節のどこまで転移が進んでいるかと病理結果で判断することになった。

あぁ、この数週間頭の中でグルグルと考えていた結果の中で一番最良の結果だった。
遠隔転移がない
ホルモン療法が効く
増殖能が比較的低い
なんとか標準的な治療で根治を目指せるのではないか?と希望がでてきた。

『で、手術はいつにする?』
とN医師。
あ、そうだな、手術日を決めないとな。
『3月末の週末はちょっと大きなイベントがあるので避けたいです』
と言うと、
『じゃあ4月ね。1日と8日が空いてるけどどっちにする?』
『では4月8日にします』
というやり取りであっさり手術日が決まった。
入院は7日から、それまではもう受診することはない。
『じゃあ入院の手続きの説明を看護師にしてもらうから』
と、その日の診察は終わった。
診察室を出るとき
『安心しました』
とN医師に向かって深々と頭を下げた。

敵の姿がおぼろげながらわかってきた。
どんなふうに闘えば効果的なのかもわかってきた。
さあ!あとは正面から闘いを挑むだけだ。
それまで英気を養って、闘う力をためておこう。

 

免疫チェックポイント阻害剤

2022.3.9

今日は仕事しながらオンコロジー領域に力をいれている企業を探してみた。
なかなかネットではヒットしないが…
ロッシュ、ノバルティスあたりかな?
もちろん日本の武田や第一三共あたりも抗がん剤に力をいれている。
その中で中外製薬オンコロジー領域のHPをのぞいてみた。

アバスチン(ベバシズマブ)、ゼローダ(カペシタビン)、ハーセプチン(トラスツズマブ)代表的な抗がん剤が並ぶ中、テセントリク(アテゾリズマブ)があった。
免疫チェックポイント阻害剤である。
そうか、乳がんにも免疫チェックポイント阻害剤が積極的に使われているのだと少し安心した。
昨日受けたe-ラーニングは少し昔のものだったからか、免疫チェックポイント阻害剤のことはなにも触れてなかったからだ。
ちゃんとレジメンが確立されているとわかってホッとした。

免疫チェックポイント阻害剤
オプジーボ”と聞くとわかる方がいらっしゃるかな?
ノーベル賞と薬の値段がめちゃくちゃ高いことで昔話題になった薬である。
この系の薬の効果はすごく理にかなった作用機序である。
私的にはとても好きなタイプの薬である。
劇的に効果があるのも腑に落ちる。
もうちょっと詳しい作用機序を調べたい。
中外製薬のMRにアポとかとれるかなぁ~なんて考えていた。
レジメンは日進月歩でバージョンアップしているのだなと感じた。

今日は少し忙しかったのであまり詳しく調べることはできなかった。
オンラインでの講演会や勉強会を行っている企業もけっこうあることが分かった。
最近はコロナでMRの来局が極端に減っているため、こちらからアポとらないと来てくれないだろな…てか来てくれるかもわかんないな。

もうちょっと詳しく調べて、ここで情報提供できるくらいにならないとな。
まだまだ勉強不足だな。

乳がん治療についての情報収集

2022.3.8

2月最初に乳がん疑いが判明してから、心の余裕がなくて仕事場のメールを確認することを怠っていた。
会社からの大事な連絡等は別のツールで送ってこられるので、Eメールは毎日チェックしなくても困ることはあまりないが、たまに大事なお知らせが届いていることがある。
あ、ちょっとやばいかも?と思い、今日開いてみた。
大量のメールが届く。ほとんどが医薬品情報に関するメールである。

その中から大事な勉強会のお知らせメールを見つけた。
隣の総合病院の薬剤部が行っている薬薬連携講演会のお知らせだった。
”しまった、このことだったのか”
数日前に病院へ行ったときに
『この間の連携講演会は欠席でしたね。どうされました?』と薬剤部の方に言われたばかりだった。開催されていたなんて知らなかったのだ。

講演会の内容を開いてみると
私の乳がんの主治医が乳がんの最新治療について講演していた。
”あぁ、なんてこと!こんなタイムリーな講演会を逃していたなんて…”
講演会の日にちを見ると2月18日になっていた。
乳がん検診の2次検査に行った週の金曜日だった。
さすがに心の余裕が全くない時期だった。
この日にこの演目の講演会を受けれるほど心は回復していなかったかもなと思った。
知っていたとしても、受けには行けなかったかもしれないな。

それにしても…どんな話をされたのかがすごく気になる。
今一番私が知りたい情報である。
主催の薬剤部の方に資料が残っていないかを聞いてみよう。
パワーポイントの資料だけでももらえたらうれしいんだけどな。
さすがに主治医本人に診察時にお願いするわけにはいかないだろう。

そんなことを悶々と考えながら仕事していたら、
”そうだ、各製薬会社のオンコロジー領域の担当者に乳がんの最新資料をもらえないかを聞いてみるのもいいかも?”と思い立った。
いや、もう、職権乱用に近い感じである。
医療関係、特に薬の仕事をしているから薬物療法の情報はその気になればいくらでも集められるじゃないか。
本腰入れてしっかり勉強してみようかと思っている。
まずはどの製薬会社が乳がん治療薬に力を入れているかを調べないとな。

そんなことをしても、結局治療方針や治療方法は主治医の考えによって決められていくのだろうけど、何かしていないと落ち着かない。
何年か前に製薬会社のMRに詳しく勉強会をしてもらったことがあったが、それからまたいろいろと治療方法もレジメンも増えているだろう。
乳がんに関しては良い治療方法や薬も揃っているというのもわかっている。

わかっているのだが…不安は全くぬぐえない。
どんな病気にもどんな治療法にも数%の例外症例があるのだ。
自分がその数%にあたるのではないか?と思ってしまうんだよな。
被害妄想に近いんだろうけど…。

情報を集めたら集めただけ、不安も募るんだろうな…とわかってるのにね。
ジタバタしている。

コロナ濃厚接触者→自主隔離解除

2022.3.6

先日の精密検査の後、娘のコロナ感染が判明した。
正確には発熱の次の日に検査に行き、感染判明である。
発症日は3月1日。検査の日だ。

発熱した時点で娘は部屋に隔離状態に、家族は全員マスク。
娘の部屋に入るのは私だけにし、出入りの時は必ずアルコール消毒を行った。
3月2日の午前中にPCRを行い、コロナ感染が確認。
そこからが大変だった。
娘は高熱にウンウン唸りながら自室にて隔離。
私は保健所からの連絡を待つ。
コロナ患者が多いからであろう、夕方あたりに電話があった。
発熱したのが3月1日の朝ということで2月27日と28日の娘の動向を確認される。
幸い、28日まで学校が期末試験中だったため27日は自宅にて勉強、
28日は午前中学校にて試験を受けた後、昼食は取らずにまっすぐ家に帰っている。
つまり、濃厚接触者は同居の家族のみということになった。

濃厚接触者の私と息子、二人とも平熱で全く疑わしい症状はない。
PCR検査をするような指示はなく、そのまま自宅にて自主隔離をするようにとのこと。
もちろん朝晩の熱を測り、症状がでたらすぐに連絡するようにとのこと。
初日から娘を隔離して感染予防をとっていたとのことで自主隔離解除は3月8日と設定された。
私自身はエッセンシャルワーカーである。
抗原検査を行うことで隔離期間が短縮できないかを確認すると、娘がホテル療養にならないとその制度は適応されないと言われた。
なるほど...自宅療養だとずっと感染者が近くにいるわけだもんね。
娘がホテル療養になるかどうかは今から調整するので決まるのは3月3日になると言われた。
判明した2日はとりあえず自宅療養となった。

次は学校への連絡である。
昨日熱があることを伝え、2日は発熱外来に行くことを伝えていたため心配しているであろう。
電話をかけ、担任にコロナ陽性であることを伝えた。
28日に学校で試験を受けたが、その間はマスクは外していないこと、食事ととったりしてないこと、友達と勉強したりどこかに食べに言ったりしてないことを話した。
学校は学校医と協議をして、濃厚接触者なしという形になったとのことであった。
本当に午後から授業がない日でよかった。

同時に私の職場に連絡する。
娘のホテル療養が決まらないと隔離期間が短縮できないことを説明した。
職場は十分に理解してもらえた。ありがたい。
ただ、私自身の仕事が月初のためたくさん残っている。
とにかく自粛期間が短縮にならないと困ったことになるなと思っていた。
短縮になるとしても、来週の月火曜日に出れるか出れないかである。
とりあえず今週1週間は自主隔離のために休むことを伝えた。

3月3日、朝から保健所より連絡が入る。
私がエッセンシャルワーカーということで、娘のホテル療養が決定した。
娘自身もホテルに行くことを了承してくれた。
で、ホテルにもっていかないといけないもの…
いや、びっくりするくらいたくさんあった。
とりあえずホテルのアメニティは一切使えないため、シャンプーやボディーソープなどを用意しないといけない。
もちろんタオルや8日間の着替えもだ。
基本的に洗濯物を取りに行って渡すなんてことはできない。
8日間いるものを全部持っていかないといけない。
家にないものもたくさんあった。
それをぜーんぶ準備して、ホテルに連れていく。
私自身は濃厚接触者で自主隔離のはずなのだが、用意のために買い物に出なくてはいけないことになった。
マスクを2重にし、できるだけ早く買い物を済ませて帰宅した。
バタバタと買い物をしたので、忘れたものもいくつかあったがとりあえず何とかなりそうだ。
14時にホテルに行くことになっているため、急いで荷造りをした。
ボストンバック2つに荷物を詰めた。
娘は”そんなに着替えはいらない”と本当に最小枚数の着替えで行った。
大丈夫だろうか?朦朧としているのでわかっているのかな?
そんなしながら、バタバタと用意をしてホテルに連れて行った。
ホテルでは迎えの準備ができており、私は一歩も車から出ることなく娘はホテルに入っていった。なんとも不安である。
私はそのまま自宅で帰り、息子と自主隔離生活に入る。
幸い月末にたくさん食品を買っていたため、食事を作るのには困らなさそうである。
バタバタしてすっかり忘れていたが、抗原検査キットを頼まないといけない。
とにかく息子も私もこのままでは不安なので、抗原検査をするために検査キットを頼むことにした。
ネットで購入し、明日には届く。
よかった便利だし、自宅に届くのはありがたい。

3月4日
朝から抗原検査キットが届いた。
1人でやるのはなかなか勇気がいるので息子が起きてからやることにした。
結果は…2人とも陰性。
まあ熱もないし、少し安心した。
本来ならPCR検査をしたほうが良いのであろうが…このまま自主隔離は続けるつもりだし様子を見ることにした。
県がやっている無料PCR検査は結果が出るまで3日はかかるようで…それでは結局意味はないかというのもあった。
昼頃、娘から電話があり『咳がひどいので病院から薬がでるみたいだから、取りに行って届けてほしい』と。
んん???自主隔離中だし、ホテルにもっていくのは濃厚接触者はNGという説明を受けていた。
私が届けてよいのか??動いてよいのか??
一旦保健所に確認するから待ってくれと伝えた。
保健所に電話し、経緯を説明する。
一旦保留になり、緊急事態のためということでOKがでた。
娘の薬を取りに行って届けるような人員は用意できないからであろう。
保健所も大変だな…とつくづく思う。
病院に連絡し、薬を取りに行き、ホテルに届けた。
抗原検査が陰性だったのでちょっと安心して外出することができた。

その後土日はずっと自主隔離。
家から一歩も出ないまま過ごした。

明日は月曜日
娘がホテル療養になったので、明日の朝抗原検査を行って陰性であれば出勤する予定である。
ようやく職場復帰である。
もちろん、マスクは2重で移動も職場の行きかえりのみを心掛けるつもりである。
水曜日になれば晴れて自主隔離も解禁。
娘は金曜日にはホテル療養が終わる。
本当にバタバタの数日間であった。

さあ、明日からまた頑張ろう。

精密検査1

2022.3.1

今日は精密検査の日
CT、心エコー、骨シンチを行う予定である。

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受付時にもらった表にズラッと検査スケジュールが書いてあった。
ちょっとというかかなりげんなりする。

最初は骨シンチ撮影のための放射性同位体の注射である。
中央検査室の受付に行き、RI検査室に通される。
放射能標識が至る所に表示してある。
放射線を使った検査になるわけだから当たり前なのだが、やはり物々しくて緊張する。
まあ、緊張するのはそれだけではない。
私は基本的に注射はダメなのです。苦手すぎる。
注射や血液がダメなので医師や看護婦になるのは断念したくらいダメ。
きっとこの後造影剤等を入れるためのルート確保されるんだろうなとわかっていても、正直逃げたしたくなる。
手術等になったらこんなこと山のように行われるのに…耐えられるかしら?
慣れないといけないな。

最初に放射線技師の方が来られて説明を受ける。
『金具がついたものは身に着けてないですか?』
と聞かれ、ハッとする。
ブラジャーに金具がついてるではないか。
金具がついていないブラトップ等を用意して着ておかなくてはいけなかった。
ブラジャーは外して、家に帰るまでずっと私のバックの中に入っていた。

その後看護師がきて、案の定左腕にルート確保。
RIをルートから入れる作業は最初に説明を受けた放射線技師の方だった。
処置をしたということは、もしかしたら放射線科の医師だったのかもしれない。
きちんと名札を見ておけばよかったな。

RIを体内に入れてから2,3時間待ち時間があるので、その間にCTと心エコーを撮ることになっている。
最初はCT撮影
ルート確保したままCT撮影室に向かう。
たいして痛くもないのに、左腕に針が刺さったままと想像すると動きもぎこちなくなってしまう。
CT撮影機械にあおむけに横たわる。
MRIのように狭い空間に入っていくわけではないから閉塞感はないが、
大きなドーム状の機械が身体の周りを行き来するのはやはり気持ちの良いものではない。
最初は造影剤を入れない状態で撮影
その後造影剤を入れての撮影となった。
CTの造影剤は初めてだ。
『お酒を飲んだみたいに身体が熱くなりますが皆さんがなる事なので気にされなくても大丈夫ですよ』と説明を受ける。
あぁそうだ、何かでCTの造影剤を入れたら膀胱が熱くなって漏らしたような感覚になったと読んだことがあったな。
薬を入れることで身体の変化が自分の意志と関係なく起こるなんて…ちょっといやかなり恐ろしいなと思った。
薬剤師のくせに怖がるなんて…いや薬剤師だからこそ薬で何が身体で起こっているのか想像できるから恐ろしくなるのかもしれない。
『造影剤を入れますよ』と言われた時はかなり緊張した。
造影剤が身体に入ってきた。
確かに身体が熱くなってきたが我慢できないほどではない。
正直気持ち悪いような感じの熱くなり方だった。
なるほど、膀胱あたりもカッと熱くなり一瞬漏らしたような感覚になった。
もちろん漏らしてはいなかった。
検査の直前にトイレにいっておいてよかった。
造影剤を入れた後、更に詳しく撮影をしてCTは終わった。
その後ルートも外してもらい、やれやれ左手が自由になった。

次は心エコー
エコーは妊娠、出産時に何度も経験しているものなので特に不安とかもない。
今まで心臓で引っかかったこともないし…大丈夫だろう。
撮影も特に問題なく終わった。

最後は骨シンチだが、ここまで順調に進みすぎてかなり待ち時間がある。
CTが終わった時に食事をとってよいと説明を受けていた。
朝ごはんを食べてきてないのでおなかペコペコである。
病院内のフードコーナーに行ってちょっと早い昼食をとることにした。
定食を食べようかと思ったが、お弁当がおいしそうだったのでお弁当に。
何も焦らなくてもこのフードコーナーにはこれから何回も来るだろう。
いずれはメニュー全部を制覇してみようと思った。
お弁当を食べたが、まだ少し物足りなかったので
コンビニで甘いものとカフェラテを買って食べた。いや食べすぎだな。
食欲があり、食事が摂れるということはまだ大丈夫だ。
何の病気にしても口から食事をとることはとても大事である。
栄養を摂っておかなくてはいざ闘う時に闘えなくなる。
今はダイエットよりも闘うほうが大事である。

そうこうしているうちに骨シンチの時間になった。
中央検査室のRI検査室に戻る。
最初とは違う技師さんがいらっしゃった。
骨シンチを撮る機械に横たわる。
身体が動かないように固定される。
結構ピタッと固定された。
『機械がぐるぐる回りながら撮影していきます。10分くらいかかりますがその間頭など動かさないようにお願いしますね』
と言われた。
あおむけに寝ている状態で顔にところに撮影の機械が降りてきた。
顔ギリギリまで降りてきた。
正直”どこまで降りてくるん??止まらなかったら挟まれてしまう!”と思った。
物が迫ってくるというのは圧迫感がすごくて恐怖を感じた。
ゆっくり降りてくるのでさらに恐怖感を増す。
これは…閉所恐怖症の方はちょっといやかなり怖いかもしれない。
安全性が確立した検査だし、機械も信頼できるものだとわかっているが、
本能的に恐怖を感じるのだなと思った。
機械が少しづつ動きながら撮影を行った。
その間、ずっと身体は保定されたまま。
2回撮影されたので20分くらいかかったのかもしれない。
途中寝ていた。最初に感じた恐怖はどこへやらである。

骨シンチの撮影が終わり、外来に診察を受けに行く。
検査が思った以上に早く進んだため、診察の待ち時間がかなりあった。
1時間以上待ったが…
結局は先日の細胞診の結果がまだ出ていないという理由で診察は次回へ先延ばしになってしまった。
結果が出てないため、今日は何も決められないという理由である。
それならそれで先に言ってくれると良かったのだが…。
こういうところが大きな病院の欠点だな。融通が利かないのであろう。
乳腺外科の先生もN医師一人なので忙しいのもあるんだろうな。

次回は2週間後である。
それまでは結果もわからず、ただただ悶々と過ごさないといけない。
せめてCTや骨シンチの結果だけでも教えてくれたらよいのに…。
先延ばしにされると結果が良くなかったのではないかと勘繰ってしまう。
結果をゆっくり診て、治療方針を考えたいという意向なのかもしれないが、
とにかくそうなってしまったのだから仕方がない。
治療方針が決まるまで、予定が立たないのがつらいな。
診断書も書いてもらえないのでガン保険の請求もできない。
やれやれだ。

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今日行った検査の明細である。
病理診断は最初の受診時に採った検体でのものだ。
今日請求にのせられたんだな。
で、今回の検査での請求額は...
39,980円である。
さすがに今回は高いな。
カード支払できる病院でよかった。
限度額認定証の申請書類を早く出さないといけないな、こりゃ。

今回は検査の詳細を記録として書いてみた。
結局はなんの結果もわからないままで悶々としているのだが...。
少しでも希望の見える結果であることを祈るばかりである。