Breast Cancer Fighting Illness

ある日届いた健康診断結果の封を開けた瞬間、乳がんと向き合う日々は始まりました

手術当日から次の日

2022.4.8

前回からの続きである。
本当は一気に書きたかったが、途中しんどくなり中断してしまった。
術後だし、無理は禁物だな。

娘が帰った後しばらく寝た。
ぐっすり寝れるわけではない。
1時間おきに目が覚めている感じだ。
身体中にいろんなものをつけられて、身動きができない状態であおむけに寝ている。
身体が自由に動かせないとはこんなに苦痛なのだと思った。
足は血栓予防の機械がウインウインと常に動いている。
導尿されているため、常に尿意を感じて気持ち悪い。
腕には血圧計と酸素飽和度、点滴がつけられており、胸のあたりには心電図。
顔には酸素マスクである。
唯一動かせるのは右腕。手術側の腕である。
こんな状態で術側の腕を動かすのも恐ろしいので、動かせず。
すぐそばにスマホが置いてあり、ブーブーと通知音がたくさんなっていたが一度もチェックはできなかった。
まあ、する気力も起きなかった。

寝たり起きたりを繰り返し
20時20分
酸素マスクと足の血栓予防の機械がとれた。
顔回りと足回りがスッキリし、少し快適に。
21時
心電図、血圧、酸素飽和度、導尿が取れる。
導尿が一番気持ちが悪かったのですごくうれしかった。
『初めてトイレに行くときは必ず声かけてくださいね』
と言われる。

しばらくトイレを我慢していたが
21時40分
初めてトイレに行こうと看護師さんを呼んだ
ドレーンバックを首にかけ、点滴台をもって室内のトイレに。
行くときはそうでもなかったが、だんだんとムカムカしていて吐き気が。
両手もしびれてきた。
焦らずゆっくりベッドに戻り横たわる。
大丈夫だと思っていたが、意外と大丈夫ではないのだと感じた。

21時50分
『痛み止めの点滴を追加しますね』
と点滴バックを持ってこられた。
何の薬?と思い、看護師さんがいなくなった時に点滴バックをみてみると”アセリオ静注液”と。
アセトアミノフェンの点滴だった。
なるほど、痛み止めは基本的にはアセトアミノフェンを使用するんだな。
ひどい痛みの場合はNSAIDsあたりを頓用するのだろうな。
痛みはそれなりにあるが、我慢できないほどではない。
とにかく寝て回復するしかないなと思った。
そういえば…水分を取っても良いかどうか指示をもらってなかったため聞いてみたら、水分は取ってよいとのこと。
そんなにのどは乾いてなかったが、飲んでみた。
挿管でのどを痛めたようで、飲み込むと痛みがあった。

その夜はやはり1時間おきに目が覚める。
時間を確認してまた眠りにつくというのを繰り返していた。
9日3時
アセリオ静注液の追加投与が行われてた。

翌朝
5時40分
採血と体温、血圧を測りに来た。
採血は左手で点滴しているため、右足から採ることになった。
足は初めてだ…痛そうだな。
くるぶしの血管より採血していた。
体温は37.7度と少し高め。
まあ身体切ってるから仕方ないよね。しばらく微熱続くだろう。
身体が治そうと頑張っている証拠だ。

7時40分
待望の朝ごはんがきた。
丸1日以上口から物を入れていない。
食べれることは素晴らしいなと感謝しつついただく。
昨日感じた吐き気もなく、完食した。

9時
再度痛み止めのアセリオ静注液の追加投与。
その後は飲み薬に切り替えるとのことだった。
点滴が終わり次第抜去すると聞いていたがなかなかこない。
うーん…今日は土曜日だし、人手が足りないのかもな?
特に急ぐことでもないので待つことに。

10時30分
点滴抜去になる。
ようやく左手が自由に。
だいぶ楽になったな。
術後のガウンのままだったため、パジャマに着替えてよいか?と聞いたらOKがでた。
下がズボンじゃないとどうもスースーして落ち着かない。
病室の外にでるのも躊躇してしまう。
ようやく落ち着ける格好に着替えて楽ちん。

午前中、執刀医がやってきて傷の具合を診る。
『腕は動きます?』と
90度以上は上がることを示したら
『その調子でドンドン動かしてくださいね。動かないと固まっちゃうから』と。
気がけて腕を上にあげたり肩を回したりするようにしている。

以上が術後の流れでした。
いろいろと忘れているところもあるけど、大体こんな感じ…かな?
術後1日目はあまり無理せずにアマプラで映画やドラマを見て過ごしました。
徐々に活動量を増やしていかないといけないな。

ではまたしばらくは入院生活を書いていきます。